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tsukuru*hito (ツクルヒト)

tsukuruhito file #5

エリート商社マンからソース屋の3代目に。 味わった経営の挫折と再起。

鳥居食品株式会社 / 代表取締役社長 / 鳥居 大資

Webメディアの企画・運営を手掛ける『PrmaCeed』の代表・岩田彰人が、さまざまな業界のキーパーソンと対談するこの企画。 今回のお相手は、日本を代表する総合商社・三菱商事や発明王として名高いトーマス・エジソンが創業した世界的な複合企業ゼネラル・エレクトリック(GE)で活躍した後、廃業寸前だった家業のソース屋を継いだ鳥居大資さんです。 「実家では何にでもソースをかけて食べていたせいで、子どもの頃はソースが嫌いだった」と語る鳥居さん。鳥居食品の3代目に就任して13年が経ちますが、そのうち約10年は「全くの鳴かず飛ばず」だったそうです。しかし、挫折の中で少しずつ商品を改良し、トリイソースは知る人ぞ知る人気ソースへと成長していきます。 幼少期から現在までその時々で感じていたことや経営者としての再起、そして鳥居食品の未来について語っていただきました。

Chapter 1子どもの頃の夢は、世界を股にかけて活躍するビジネスパーソン。

岩田トリイソースは浜松で長く愛されてきた一品だと伺いました。最初に、これまでの会社の歴史を教えてください。

鳥居1924年(大正13年)に曾祖父と祖父がソースづくりを始め、父親が2代目、私が3代目です。浜松にはホンダ・ヤマハ・スズキといった輸送機器メーカーの工場がたくさんあり、工場や食堂に業務用ソースを提供していました。

岩田もうすぐ創業100年を迎える老舗企業ですね。これまでずっとソースづくり一本できたんですか?

鳥居先代の時には一時期ジュースや清涼飲料水なども作っていましたよ。ソースもスーパーマーケットの普及にあわせ、家庭用ソースを手掛けるようになりました。いまは家庭用ソースの割合が多いですね。

岩田家業がソース屋だと、食事の際にソースを使う頻度も多かったんですか?

鳥居子どもの頃は何にでもソースをかけていましたね。そのせいで、一時期ソースが嫌いになったほどです(笑)

岩田ソースはお好み焼きやたこ焼きのような粉ものにかけることが多いと思うんですが、粉ものの食事が多いのではなく、いろんな料理にかけていたんですね。

鳥居土地柄もあるかもしれませんが、例えば学校給食でキャベツの千切りが出ると、浜松ではソースで食べるのが一般的なんです。そのため、クラスに1本はトリイソースが置いてありましたし、友達や先生方にとっては常に「トリイソースの子」でしたね。家も工場も同じ学区内にあったので、小学生の頃は工場がかくれんぼの場所でした。

岩田子どもの時から工場に慣れ親しんでいれば、ソースを嫌いになった時期はあったにせよ「将来は会社を継ごう」と決めていたんですか?

鳥居全く思っていなかったです。先代も中学生くらいまでは継げと言っていましたが、高校生になってからは言わなくなっていましたね。私が高校生くらいまではバブル時代で会社の業績は良く、叔父2人も会社にいたのでファミリー企業としては存続できると考えていたのでしょう。ただ、私が大学生の頃にバブルが弾けると会社の業績は急激に悪化し、先代は「自分の代で会社を畳む」と決意しているようでした。

岩田ソース屋でなければ、子どもの頃の「将来の夢」は何だったんですか?

鳥居国際関係の仕事に就くことでした。親戚に西濃運輸・アメリカ法人の社長になった方がいて、日本への出張時には実家に寄ってくれていたんです。

浜松でソースを作るより、世界を股にかけて活躍する姿が格好良く見えて憧れましたね。その関係で外国人と接する機会も比較的多く、慶応大学経済学部に進学してからはカナダのブリティッシュコロンビア大学への交換留学や日米学生会議への出席など、年々国際志向が強くなっていきました。

岩田家業よりスーツを着て世界中を飛び回る姿が格好良く見えるというのはあるでしょうね。それに、慶応大学卒業後にスタンフォード大学の大学院に進学したことを考えると、着々と世界で活躍する商社マンとしてのベースを築いているように感じます。

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Tsukuruhito

鳥居 大資

鳥居 大資

鳥居食品株式会社
代表取締役社長

Company

鳥居食品株式会社

大正13年創業。地元野菜をふんだんに使った完全無添加のソース「トリイソース」を製造。

この記事を書いたライター

是永 真人

是永 真人 ( これなが まさと )