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tsukuru*hito (ツクルヒト)

tsukuruhito file #8

ピンチを、チャンスに。骨太な会社のつくり方。

やまと興業株式会社 / 代表取締役社長 / 小杉 昌弘

Webメディアの企画・運営を手掛ける『PrmaCeed』の代表・岩田彰人が、さまざまな業界のキーパーソンと対談するこの企画。 今回のお相手は、二輪・四輪のコントロールケーブル製造やパイプ加工をはじめ、LEDペンライトや粉末茶の開発、さらに飲食店の経営まで多角的な事業展開を進める『やまと興業』 の代表取締役社長・小杉昌弘さんです。 「そろばんが得意だったから、小学生で原価計算をしていた」 「自分が知らないうちに、勝手に代表印が作られていた」 「LED事業に進出したのは、世の中を明るくするため」 終始ニコニコ顔で語ってくれる、御年74歳の小杉さん。その話には会社経営の醍醐味が詰まっており、いかなるピンチもチャンスに変えてきた前向きな姿勢は社会人として誰もが学ぶべきもの。 小杉さんの話から、ぜひこれからの時代を生き抜くヒントを得てください。

Chapter 2銀行員の一言で、いつの間にか完成していた代表印。

岩田やまと興業にはどのタイミングで入社したんですか?

小杉日本大学の理工学部を卒業して、新卒で入社しました。先代からは「好きなことをやって良い」と言われていたのに、4年生になって急に「やっぱり戻ってこい」という話になってしまって。私が初めての大卒社員でしたね。

岩田入社後はどんな仕事を?

小杉コントロールケーブルなどの見積りを担当しました。

岩田それって、小学生の頃にやっていたことでは?

小杉そうなんです。子どもの頃にやっていたことを、社会人になってまたやり始めたんですよ。おかげで、仕事にはすぐに慣れましたね。

岩田代表になったのはいつ頃ですか?

小杉1982年、38歳の時でした。それも気付いたら代表印が勝手に作られていて…。

岩田勝手にですか?それは一体どういう経緯で…?

小杉先代が銀行にお金を借りに行ったら、銀行の支店長からこう言われたそうなんです。「代表、お金は貸しますが、10年後はお幾つですか?」と。その言葉に思うところがあったようで、銀行を出たその足で家の前にあったハンコ屋に行き、私の代表印を作ってしまったんです(笑)

岩田普通は会社に戻ってから「今日、銀行でこんなこと言われちゃったよ」と話して、そこから後継者について真剣に考えるのがよくある形なのかもしれませんが、先代は即断したんですね(笑)

小杉その時、先代は73歳でしたし、私も管理部長時代に経営理念や定款の見直しなどに携わっていたので、いつ代替わりしても良い準備はできていたんです。ただ、そうは言ってもハンコが出来上がった時に私が代表になるなんて誰も知らないんです。私も含めて。ハンコを受け取った事務員が確認したら代表印なのに私の名前が彫られているから、「名前が違いますよ」と業者に伝えると、「いえ、これは社長に頼まれたものなんです」と返されて、そこから「えっ、社長変わるの?」と社内はてんやわんやです(笑)

岩田面白い話だなあ(笑)

小杉そんな経緯で代表になったので、2代目を継ぐ時に先代に確認したんです。やりたいことをやってもいいか、と。そしたら「いい」と言う。財産をなくしてもいいか、と聞いたら、これも「いい」と言う。そこで了承し、いまに至るわけです。


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Tsukuruhito

小杉 昌弘

小杉 昌弘

やまと興業株式会社
代表取締役社長

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やまと興業株式会社

自動車部品事業、エンターテイメント事業を専門とする会社です。

この記事を書いたライター

是永 真人

是永 真人 ( これなが まさと )