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tsukuru*hito (ツクルヒト)

tsukuruhito file #15

航空事業の最先端は新潟に。ボーイングの重要部品をつくる「AI工場」。

株式会社山之内製作所 / 代表取締役社長 / 山内 慶次郎

Webメディアの企画・運営を手掛ける『PrmaCeed』の代表・岩田彰人が、さまざまな業界のキーパーソンと対談するこの企画。 今回のお相手は、航空・宇宙・防衛・医療など、さまざまな分野の精密機器をつくっている『山之内製作所』の代表取締役社長・山内慶次郎さんです。 削りにくい、加工が難しい「難削材」の切削加工に取り組みながら技術力を高めた同社は航空事業に進出し、いまではボーイング787の機体や航空機エンジン部品を製造するまでに成長。しかも、それらはすべて新潟県内にある24時間稼働型のAI工場でつくられています。 新規参入が難しいと言われる航空業界で確かな実績を残してきた山内社長は、今後何を目指すのか。会社のことから航空業界の行く末まで伺います。

Chapter 1「誰もやりたがらない仕事」から、最先端の加工技術を養う。

岩田山之内製作所のことは「航空分野の最先端を走る企業」と聞き及んでいます。最初に、会社の成り立ちから伺ってもいいですか。

山内1964年に父親が起業し、私が2代目になります。もともと父親は満州で義勇軍をしていて、終戦直前に祖父が他界したために帰国したんですが、ちょうど帰国時に終戦を迎え抑留されなかったそうです。戦後、2人の叔父が経営していた東芝の下請け工場で働いていたことから父親もその工場で技術を学び、やがて独立してこの会社を創業しました。

岩田創業当初はどのようなものをつくっていたんですか?

山内東芝の治具加工などを手掛けていました。とはいえ、父親は寡黙な職人気質だったので、「担当者を接待してオイシイ仕事を取ってくる」なんてことはできません。誰もやりたがらない、残った仕事ばかり受注していましたよ。「安い仕事でも、人の3倍働けば生活できる」と考えていたようで、私が子供の頃はいつも工場に籠っていましたね。

岩田誰もやりたがらない仕事とはどんな仕事だったんでしょう?

山内どう作れば良いのかわからないモノですね。加工しにくい難削材とか、設備や刃物がないモノとか。そんな中、設備がなければ自分たちでカスタマイズし、刃物がなければ自作して、といろいろ工夫していたんですが、結果的にはこれが当社の技術力を高めることになりました。誰もやりたがらない仕事には、最先端の加工技術が必要なモノも数多く含まれていたんです。

岩田同業他社がやりたがらないことにも積極的に挑んでいたら、自然と最先端の技術を扱うようになっていた、ということですか。それは面白いですね。モノづくり企業ならではの飛躍の仕方のように思います。

山内私は学校卒業後にこの会社へ入社しましたが、そうしたチャレンジは続き、1985年頃には衛星の筐体に必要な「同時5軸加工」を成し遂げます。これはとても難易度の高い加工技術で、例えば1個100万円で受注したとして、成功すれば30万円の利益を生むものの、失敗して2個目を作ってしまうと丸々赤字になってしまう、ハイリスク・ハイリターンな案件でした。それでもこのミッションに挑むことを決めました、まだ売上が6億5,000万円しかなかった時期に2億円の設備投資に踏み切って成功させたんです。

岩田売上6億円台で2億円の設備投資ですか……しびれるような経営判断ですね(笑)

山内そうした決断ができたのも、自分たちで工夫しながら最先端の技術に挑むチャレンジ精神が会社全体に浸透していたからだと思います。

岩田それと、「自分たちならできる」と信じることができた、というのも大きいですよね。そのバックボーンは当然それまで培ってきた技術力や経験、ノウハウといったものなんでしょうが、上層部は技術者を信じ、技術者も期待に応えた、という構図が「リアル下町ロケット」のようでとても魅力的です。山内さんが代表に就任されたのはいつ頃ですか?

山内1999年ですね。私が代表に就任してから、本格的に航空分野へと進出することになります。

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Tsukuruhito

山内 慶次郎

山内 慶次郎

株式会社山之内製作所
代表取締役社長

Company

株式会社山之内製作所

半導体機器、電機製品、バルブなどの製品を経て、現在では防衛特機部品、医療機器、宇宙開発機器など、精密部品の加工から組み立てまでを行う。

この記事を書いたライター

是永 真人

是永 真人 ( これなが まさと )