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tsukuru*hito (ツクルヒト)

tsukuruhito file #16

良いモノを、つくる人を、守りたい――社員に見せる、等身大の経営者像。

OMソーラー株式会社 / 代表取締役 / 飯田 祥久

Webメディアの企画・運営を手掛ける『PrmaCeed』の代表・岩田彰人が、さまざまな業界のキーパーソンと対談するこの企画。 今回のお相手は、太陽熱を蓄熱して床暖房や給湯に活用する「パッシブソーラーシステム」であたたかい家づくりを実現している、『OMソーラー』の代表取締役・飯田祥久さんです。 同社は創業以来、住宅設備メーカーとして日本の気候や風土に適応した地域建築を推進。技術開発にも積極的に取り組み、OMソーラーシステムを導入する会員工務店への建築技術・設計・施工なども指導しています。 前職が銀行員だったという飯田さんは、どのような想いで会社経営に挑んでいるのか――対談の中で浮かび上がってきたのは、家づくりと同じようにあたたかい会社づくりでした。

Chapter 1日本バッシング真っ最中のアメリカから帰国し、よりオープンな性格に。

岩田はじめまして。本日は『ツクルヒト』の対談企画を通して、飯田さんの人物像や会社経営に対する考え方を伺いたいと思っています。よろしくお願いします。

飯田よろしくお願いします。まずは何から話しましょうか。

岩田では、生まれから。出身はどちらですか?

飯田三重県の津市です。

岩田ずっと津市で育ったんですか?

飯田父親が地銀に勤めていてたんですが、私が高校2年の時にニューヨーク支店を開設することになり、家族でニューヨークに転居しました。

岩田ということは、高校時代にニューヨーク生活を満喫したんですね。

飯田 いろいろな文化・慣習に触れるため、敢えて日本人学校には行かず地元の高校に直接入ったので楽しかったですよ。人種の坩堝のような街でいろいろな人たちと交流を図った経験は、いまも大いに活きていると思います。時代背景としては、日米貿易摩擦が起こり、ニューヨークでもジャパン・バッシングが吹き荒れていましたが。

岩田 テレビで見たことがあります。日本車がハンマーで叩き壊されていたような時期ですよね。人種差別などはなかったんですか?

飯田 時にはありましたが、それでも私の人格形成においてニューヨークで過ごしたことはとても大きかったですね。大学に進学する時に帰国して青山学院大学の国際政治経済学部に進学したんですが、アメリカで多様な人種とコミュニケーションを図っていたことで「日本語が通じる気楽さ」に改めて気付いたんです。帰国後はそれまで以上にオープンな性格になったと自分でも思います。

岩田 大学では主にどんなことを学んだんですか?

飯田 金融関連を学びました。父親の影響で、子供の頃から「地元の企業を育てる仕事」を良いなと思っていたので、就職活動も金融機関に絞って行いましたね。その結果、最初に内定をくれたさくら銀行(現・三井住友銀行)に入行します。渋谷支店、銀座支店をまわり、浜松支店へ異動。当時は外為志向で、木材を中心にカナダとの取扱高が高かったOMソーラーも顧客の1つだったんです。

岩田 銀行出身の飯田さんがどのような経緯でOMソーラーに入社したのか気になっていましたが、そのような縁があったんですね。OMソーラーへ転職したのはいつ頃ですか?

飯田 2004年に当時の財務系の取締役から「自分の後を引き継いでくれないか」と打診されました。私も浜松に3年住み良い所だと感じていましたし、銀行員時代に当社の財務諸表を見ていましたが数字上は超優良企業。「この会社はこれからもっと伸びる」と思い、快諾したんです。

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Tsukuruhito

飯田 祥久

飯田 祥久

OMソーラー株式会社
代表取締役

Company

OMソーラー株式会社

自然環境の力を利用した空気集熱式のパッシブソーラーシステム、OMソーラーの開発および販売を行う。

この記事を書いたライター

是永 真人

是永 真人 ( これなが まさと )