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tsukuru*hito (ツクルヒト)

tsukuruhito file #17

大切なモノ、仕事への取り組み方は、1世紀前から変わらない。

株式会社ソミック石川 / 代表取締役社長 / 石川 雅洋

Webメディアの企画・運営を手掛ける『PrmaCeed』の代表・岩田彰人が、さまざまな業界のキーパーソンと対談するこの企画。 今回のお相手は、自動車のハンドル操作をタイヤへ伝える重要保安部品「ボールジョイント」を製造している『ソミック石川』の代表取締役社長・石川雅洋さんです。 1916年に創業した同社は織機のボルト製造からスタートし、トヨタ自動車がカーメーカーとして飛躍するのに合わせて自動車事業へ移行。アメリカ、フランス、中国など6カ国に10工場を構え、国内シェア56%、世界シェア16%を獲得するまでに成長しています。しかし、そんなグローバル企業の6代目社長である石川さんは、「ものづくりの原点は根角ボルトにある」と話してくれました。 創業一族として、100年企業の歴史の重みを実感する石川さん。その想いをお届けします。

Chapter 1「DNAを信じろ」社長就任時、初対面の豊田章男氏はそう言った。

岩田 今回の対談では、改めて『ソミック石川』の歴史と石川さんご自身の足跡を振り返っていただきながら、これまで大切にしてきたことやこれからのことを伺いたいと思います。よろしくお願いします。

石川 では、まず会社のことから話しましょうか。当社の創業は1916年。織機で使うボルトやナット類の製造からスタートしました。作業場は自宅長屋の土間と2畳の部屋をつぶしただけでしたが、新しい加工アイデアを積極的に取り入れ、次第に「浜松でボルトと言えば石川鉄工(当時)」と言われるようになります。当時はトヨタも織機を開発していたため、2代目の時に取引がはじまり、この関係が今も当社の核となっていますね。

岩田 ソミック石川で自動車部品を製造するようになったのも、トヨタが自動車事業に注力するようになったからですよね。

石川 1937年にトヨタ自動車工業が設立され、当社は協力工場としてエンジンボルトを納入するようになりました。特に3代目の石川薫明は豊田喜一郎さんの懐の深さに惹かれ、トヨタとの関係を強化していきます。一時的にトヨタが経営危機に陥って協力会社への支払いが滞った際も、「苦しい時はお互い様だから」と部品の納入を続けました。このエピソードはTVドラマ『LEADERSⅡ』でも描かれたほどです。

岩田 支払いがなくても部品を納入するというのは、よほどの信頼関係がなければできないことですよね。

石川 3代目にはいろいろな逸話が伝わっていて、戦時中に遠州灘が艦砲射撃を受けた際には「危険だ」とトラックでの輸送を止め、代わりにリュックサックに部品を詰めて汽車で運んだそうです。危険なら輸送しなければ良いのにと思うかもしれませんが、それではお客様に迷惑をかけてしまう。部品を確実に届けることが最優先なので、みんなでリュックサックを背負い汽車に乗り込み、複数の路線にわかれて命をかけて届けたそうです。

岩田 そこまで顧客のことを考えていたんですか。すごいですね。

石川 そうした懸命な仕事ぶりが認められ、1946年にトヨタからの勧めを受けてボールジョイントの製造を開始します。

岩田 現在の主力事業は先人の熱意によってもたらされたんですね。

石川 その後、1950年代にヤマハやスズキとも取引がスタートし、1968年には私の父親が35歳で4代目に就任します。

岩田 では、幼少期の石川さんも社長だった父親を見て過ごしてきたんでしょうね。

石川 毎日忙しくしていたので家で見かけるのは麻雀をしている時くらいでしたが、それでも父親の背中は見ていましたね。その光景はいまでも覚えています。

岩田 学校を出てからはどうされたんですか?

石川 大学で機械工学を学び、トヨタに就職しました。トヨタには21年間居て、その間、6年ほどはアメリカのケンタッキー州でTPS(トヨタ生産方式)を教えていましたね。「必要なモノを、必要な時に、必要な分だけつくる」「そのためには現場をどう改善していくべきか」と真剣に考える機会を得ることができたのは、いまも私自身の財産になっています。

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Tsukuruhito

石川 雅洋

石川 雅洋

株式会社ソミック石川
代表取締役社長

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株式会社ソミック石川

静岡県浜松市の自動車部品メーカー。自動車の重要保安部品「ボールジョイント」の製造を手掛ける。

この記事を書いたライター

是永 真人

是永 真人 ( これなが まさと )